この発言はプゥア・タイ党側が男性の母親に近づき、政府による反独裁民主主義同盟のデモ隊強制排除の攻撃材料として男性を非事態宣言の犠牲者として取り上げる動きを見せている事を受けたもので、アピシット首相によると、自分やステープ副首相が第一地区国軍本部長宅に滞在していたのは12日と13日だけで、死亡した男性に関しては14日に事故を引き起こした後に激しい頭痛を訴えた後に死亡したという話しか聞いていないという。
尚、法務省法医学研究所のポンティップ所長は、医師資格を持つ旧タイ・ラック・タイ幹部のトサポン・せーりーラック氏やプゥア・タイ党議員のスラウィット・コンソムブーン氏の立ち会いの下で司法解剖を行って欲しいとする男性の母親側と政治が絡む恐れがある状況下で司法解剖を行う事ができないとする研究所との間で話し合いが平行線を辿り最終的に法医学研究所による司法解剖を断念した事を明らかにしている。
その後、スラウィット氏の交渉によりシリラート病院側がトサポン氏やスラウィット氏立ち会いによる解剖に応じたという。この解剖にはプゥア・タイ党の報道官等も立ち会う予定だという。
一方、アピシット首相は、あらためて同盟のデモ隊に対する排除行動の際に死亡者が出ていない事を確認した上で、同盟の自警組織員とされる2人が殺害された上で手足を縛られチャオプラヤー川に遺棄された事件に関しては、軍側が強制排除に乗り出していた13日夜から14日朝にかけて生存していた事が確認できている事を明らかにした。