サマック党首に関しては、特に1976年10月16日の流血事件の際に、ラジオ放送を利用してタンマサート大学校内に立てこもっている外国人(確かタイ語・中国語でベトナムないしはベトコンを意味する蔑称を使用したと記憶)を構内から駆逐するよう右派系市民等を煽動し流血の惨事を引き起こすきっかけを作ったとされており、また政治家としては、一貫してタノーム政権やスヂンダー政権といったクーデター政権よりのスタンスをとってきたと見られてきた。
サマック党首によれば、当時学生活動家として知られていた同党のスラポン幹事長の事を最近知ったくらい流血事件とは縁が無かったのだという。
一方、サマック党首は、民間選挙監視団体が20日に開催を予定している民主党党首との直接討論会への参加を断固として拒絶する意向を再確認した。直接討論会の場で過去の流血事件に関与した疑惑を持ち出され、一貫して民主主義とは縁がなかった人物との印象を社会に植え付けられることをサマック党首側が嫌っているとも言われている。
また、サマック党首は、ウタイターニー県から立候補しているプラセーン・モンコンシリ氏がタクシン前首相の肖像を使用し選挙運動を行い、更に選挙委員会前でタクシン前首相関連のVCDを配布した事と党とは一切無関係であるとした。

